金星建さん(金右山さん/金建星さん)は朝鮮人であり、1931年に兄弟と一緒に上海へ転居し、1933年に中国人に帰化しました。兄弟の金星斌は金星建と一緒に帰化しましたが、兄弟の金星文は自分の家族と一緒、1934年に帰化しました。

中国特許を取りました金さんに対する採訪(1935年)により、金星の創業は1931年でした。金さんはその三年間にVacumatic式万年筆を開発するため、日本へ来たことが七回でした。

商標公報や新聞などより、金星万年筆の株式会社化は1933年の4月に終わって、金さんは金星と愛国の商標を登録し、1935年の採訪まで金星万年筆に仕事らしかったです。加えて、とある資料により、金星の最初の会社名は金星水筆廠でした。この工場は金星建さんの家(3号)の近所(5号)にありましたが、株を華商譲与しましたら金星自來水筆製造廠も金星建さんの家の隣(1-2号、後3-4号)にありました。

1935年、金さんは王時雨らの投資を受けて、金駝万年筆を創業しました。同年、金さんは七回目で結婚しました。

1936年、夫婦喧譁によって家内を強制に精神病院に入院する事などにより、会社や特許を兄弟の金星斌へ譲与しました後、7月に会社や特許は中国人事管理学会の幹事である楊崇皋さんへ譲与しました。
その後、金駝万年筆は大文Darwin万年筆になりましたが、1937年まで新聞に見えました。1938年の新聞に見える大文この大文と同じ会社ですかどうかまだ知りません。1944年から見える大文Diamond は別会社であることがはっきりしています。

1945年の上海百業人材小史により、金さんは1944年まで上海に暮らしていたらしかったです。